自分に投資するということ

さまざまなお金の使い方があります。自分の趣味に投資したり、誰か大切な人にプレゼントしたり、人によって「消費」のスタイルは違うものです。中には必要なもの以外まったく買わないという人もいるでしょう。

生きていくために必要なお金は、実はそんなに多いものではありません。ただ、私たちの周囲にはさまざまな「魅力的なもの、イベント」があるもので、人はそれぞれ「生きるだけ」ではない部分、娯楽などにお金を投じるものなのです。それらの消費によって支えられている産業もあります。音楽など聴かなくても生きていけますし、ゲームなどしなくても生きていけます。旅行なども行かなくてもいいものですし、服だって安いものでも問題ないのです。

何を贅沢と考えるのかは人によってマチマチですが、私たちは実にさまざまなことに「価値」を持っていることは間違いありません。もちろん、私たちひとりひとりがそのようにして「お金」を使わなければ成り立たない産業が沢山あり、誰も価値を感じなくなってしまえばやがて廃れてしまうことは間違いありません。私たちが「あんなものいらない」と考えれば、その瞬間にその産業は「仕事」として成り立たなくなるのです。

少し視点を変えてみると、「今の自分が完璧か」という疑問は常にあるものです。人間は日々成長するもので、昨日できなかったことが今日できるようになっただとか、来年は新しいことにチャレンジしようと考えるものです。それが趣味であれ、仕事であれ、「追求」するということが私たちにとっては大切なことであり、生きる意味でもあるのです。それを「仕事」に活かせる何かに変換して考えてみればどうでしょうか。

自分では到底覚えられないこと、習得できないことは沢山あります。私たちはそのようことに対してあえて関心を抱かないようにしています。例えば英語です。「英語はできなくて仕方がない」という具合に、です。ですが、実際に英語が話せるような人は沢山います。それらの人と自分の頭の構造がそんなに違うものではないということも、心のどこかではわかっています。

そのようなことに対して「投資」して、新しいスキルを身につけるということは決してムダではありません。「明日役に立つ」というようなことでもありません。そのようなことはすでに習得しているはずだからです。ですが、「将来はコレをやりたい、いつかこうなりたい」という「ビジョン」があるのであれば、それに向かって何かにチャレンジすることは、ムダではないのです。即物的に「英語を覚えても給料が増えるわけではない」と考えてしまうと、モチベーションにはなりません。ただ、毎日の積み重ねである「未来」に対して何らかのビジョンを持っているのであれば、そこにむかって少しずつ進んでいくことが必要です。

自分に対する「投資」とはそういうことです。投資はいつか還元されるべきものです。すべては「意思ひとつ」であり、「投資」は「消費」とは違うものなのです。自分が在るべき未来の姿、進みたい道、得たいスキルは、可能な限り、少しずつでも身につけることが大切なのです。それが自分の可能性を広げることにもなりますし、「ひとつのものにすがって生きていく」ということからの脱却にもつながるのです。

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