金がないと生きていけない

私たちの暮らしを左右している「お金」は、時には私たちに優しく、時には厳しい側面を見せます。特に現代社会は「普通に生きていくことすら難しい」という世の中です。「人並み」の平均値がどんどん下がり、富裕層とそうではない階層の「差」が著しいものになってきているのです。

普通に学校を卒業して、普通に働く。それは誰もが一番辿りやすい「道」です。みんなと同じように新卒の入社面接を受け、新入社員からはじめるということは、一般的で、誰もが経験することでもあります。それまでは「学生」という身分であったので、「社会」に対しては理屈ではわかるものの、「毎日働くこと」ということがどういうことなのかを真剣に考えて来なかったかもしれません。

社会に参画するためには誰でも「最初」があり、最初は右も左もわからないものです。職場にさまざまな年代の人がいること、そして年齢は関係なく「能力」で役職がわかれていたりすることなども、新鮮なものに見えるでしょう。

なぜ社会に参画する必要があるのか、その時点ではあまり真剣に考えないかもしれません。学生時代と社会人の本質的な違いというものがあるのですが、立場は急に変わったとしても、自身の中ではとてもゆるやかに「自覚」として芽生えるものなのかもしれません。

私たちが働くのは「生きるため」です。生きるために必要な対価を得るために、私たちは働くのです。「対価」を得るために「勤労」があります。自分の時間、そして自分の能力を、私たちは「働く」ことで「お金」に変えているのです。社会に出たての頃はもしかしたらまだ「親元」にいるのかもしれません。それまでバイトなどもしてきたものの、親に養ってもらっていたのです。学費を奨学金で賄っていたのだとしても、「学ぶ」ことができるまでに育ててくれたのは保護者なのです。

それは社会人になったからといっていきなり責任が芽生えるわけではなく、状況に対して徐々に人は慣れていくものなのです。やがて貯金がたまり、「生きていく」だけに十分な、そしてある程度自分で自由に使えるお金が増えてきた際、ふとした瞬間に自分が社会人であること、そして自由であること、自由を得るための「お金」がいかに大切なのかということに気がつくでしょう。

私たちは「学校」で学ぶことを終了してから「お金」を得るために働き続けるのです。年月が経てばそのお金は自分のためだけではなく、やがて自分の伴侶や新しく作り上げる「家族」のために費やすことになります。その時に、もしかすると「もっと貯金しておけばよかった」と悔やむかもしれません。一人気ままに生きていくことと、家族を養うことは別次元だからです。その時に自分を育ててくれた人がどれだけ大変だったか、自分が「当たり前」だと考えていたことを維持するのがどれほどの苦労なのかがわかるというものなのです。

私たちは今の社会に生きていく限り、「お金」から離れて暮らすことは出来ません。誰もがお金の限界にとらわれ、そして一円でも多く稼げないかと腐心するのです。「お金がありすぎて生活には困らない」という人は、世の中のごく一部なのです。そのような人ではわからない、「生きていくため」の大変さというものがあるのです。

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