金を儲けた先にあるもの

自分がどうしてお金を儲けたいのかということを考えたことはあるでしょうか。資本主義の世の中です。そして日本は国際的にも発達した「先進国」のひとつです。お金を沢山稼いでいれば、さらに暮らしを豊かにすることができることでしょう。

ただ、「それだけ」でいいのでしょうか。自分が楽しく暮らしたい、自分の家族や恋人などにも楽をさせてあげたいということは一見「自然」ですが、それだけで満足していいものでしょうか。現代では、「就職するのが大変だ」であるとか、「リストラされて仕事がない」だとか、嘆く人がいます。まずは自分の境遇を考えてみてください。あなたには今「仕事」はあるでしょうか。

もし「仕事」がないということであれば、まずは「生活」することにも困ってしまう状態なのですから、自分が生きられる分だけの収入が得られる「仕事」を探してください。それは一定した収入を安定的にもらえる仕事という意味です。自分が満足に生きられないのに、「お金儲け」を考えることは間違っています。

どういうことかというと、「誰かに頼ったまま」生活しているような人、つまり自分の生活費も賄えないような人が「お金儲け」を考えられるわけがないということなのです。まずは「生活する」ということは基本です。自立して生きるということが大前提です。その上で、もっと稼ぎたい、もっと儲けたいと考えるものであり、それは「順序」のようなものです。自分の生活費もまかないないのに、夢のようなことばかり言ってまともな仕事をしないということは、「怠け」です。怠けている人には「勝機」は訪れないものです。

「仕事」はあります。探せば必ず見つかります。自分の能力不足で仕事がなかなか見つからないというのであれば、まずは雇ってもらえるように自分を磨くことです。「お金を儲けた先にあるもの」は、実は即物的な「モノ」ではないのです。それだけのお金を稼げるようになった「自分」がいるのです。お金が儲かるのは「誰かが払うから」です。それだけのお金を払ってもらえるような「自分」に成れれば、その時に「儲かっている」ということになるのです。

お金を儲けた先にある「暮らし」を考えるよりも前に、自分はそれだけ「稼げる」人間であるのかどうかを考える方が先だということです。それは「ビジョン」です。希望しただけのお金を稼げばそれでいいのでしょうか。実際はそうではないのです。満足できるだけ稼いでいるということは、自分が「それだけの仕事をしている」ということです。自分がそれだけの仕事ができているということは、それだけ充足した仕事ができているということでもあります。

私たちは「何もせずに生きる」ということができません。働きたくない、家の外に出たくないと考えることも時にはあるかもしれませんが、一生そのような状態でいられるわけがないのです。「何も残さない」ということは、あり得ないのです。生きているだけでは「足りない」のが私たちです。娯楽も存分に楽しみたい、そして興味のあることは突き詰めたい、そのようにして私たちは歳をとっていくものなのです。お金を稼いだら何をするか、ということは、実は副次的なものであるのです。

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