年収は財布の値段の200倍?

なんの根拠もないような説ではありますが、年収というものは持っている財布の200倍になるというようなハナシがあります。それは統計的な説ではないような気がするのですが、なぜなのかを考えてみたいと思います。

財布は毎日使う道具です。そして自分の資産を一部しまっておき、日々の買い物などで支払うのです。大人になってからは毎日持ち歩くものです。携帯電話やスマートフォンと並んで、もっとも私たちの身近にあるものです。それらの小物は当然「買う」ことが大前提ではあるのですが、それらのアイテムも値段はピンからキリまであるものです。

稼ぎが多ければ、多少それらのアイテムや小物、そして衣類に割ける予算も多くなります。もともと、私たちの身の周りにあるようなモノは「価値」とされるバラバラです。何を価値と捉えるのかということが人によってマチマチだからです。使いやすさに価値を見いだすのか、それとも「ブランド」に価値を見いだすのか、それはそのモノを買おうと思っている人それぞれで違うものなのです。

「価値」とは「値段」で置き換えられるものです。私たちが生きていくなかで、実は必要のないものというのが「付加価値」なのです。例えば自転車と電動自転車です。自転車は漕いだら進むものです。ただ、そこに「電動アシスト」とい機能が負荷されているため、価格が高くなるのです。実は電動アシストがあってもなくても、自転車として使用する分には、なんの違いもないのです。普通に乗れればいいのですから、特段電動アシストなどはついていなくても支障はないはずなのです。

ですが、「電動アシスト機能」自体に価値を感じている人がとても多いため、それが「高付加価値」として広く認められ、そのような商品が「売れる」ということです。私たちの生活は戦後一気に便利になり、さまざまなことを「道具」が代行してくれるようになりました。車にしても同じです。普通に運転できるものなどはいくらでもあるのです。10年経っても、車は車として使用可能なのです。

ただそれだけでは「満足しない」のは、目の前に次々と新しい技術、新しいアイテムを並べられ、それに価値を感じているからなのです。そしてそのようなモノを作りだすこと自体で、経済を循環させるという重要な役割もあるのです。

財布のハナシに戻ると、そのような身近なものに「高価値」を求めるような人は「余裕がある」ということが多いのでしょう。財布はもっとも身近なアイテムですし、毎日使うものです。ただお金が収納出来ればいいというだけではなく、幾度となく人に見られるようなものでもありのます。財布や時計、そして身につけるものというのは、「自分のステータスである」と考えている人が多いものです。

お金があれば、つまり年収が高ければ、それらのモノに金銭を割く余裕もあるのです。つまり、財布の値段は年収の200倍というのは、まったくそのとおりではあるものの、あながち間違いでもないということになります。人によっては年収の割に高価なものを買っているという場合もあるかもしれませんが、そのような人は「お金の使い方」が間違っているのです。そして、そのような人から受ける印象はどこかチグハグなものになることが多いでしょう。

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