収入は人それぞれ

人はお金を稼ぐために働きます。「仕事」というものは、社会で活躍するということは、決して簡単なことではありません。自分と同じくらい、むしろそれ以上、お金が必要な人は沢山いるものです。いくらでもいます。

それは個人レベルではもちろん、個人が集まった「企業」という組織でも同じなのです。組織と組織がしのぎを削り、限りある「お金」を稼ぐために戦っています。そこには明らかな「差」も生じます。すべての会社が同じ額を安定して稼げるわけではないからです。事業の優劣は、収益の規模、特に「利益」の額で決まります。沢山の利潤を生んでいるビジネスは、資金を生みやすいものです。その資金でさらに事業を拡大することができます。ですがあまり利潤を産まないビジネスは、組織
としても続ける価値がありません。縮小されていきます。

その利潤はもちろんそれに関わる「人」に還元されるものです。大きなビジネスで責任ある立場にいれば、その還元率は高いものになります。その「人」によって大きな功績を残せたとなれば尚更です。対して利潤の少ないビジネスにおいてはそれに関わる人に還元する資本がもともとありません。だから少なくなります。

ビジネスは、そのようなことの大小の積み重ねです。アルバイトから責任者まで、どれだけの利益を出せるのか、どれだけ貢献しているのかということが最も重要なことで、そこに「差」が生じるのは仕方のないことなのです。その差が個人レベルの「収入」の差であり、生活の差です。

ビジネスの頂点、その組織を運営するトップに君臨する立場は社長であったり会長であったりするものです。そのような人々は組織が生み出した利潤の恩恵を最も得られる立場の人です。もちろん、社長になりたければ誰でもなれます。新しく事業を起こせばいいのです。新しく起こした事業で、収益を上げればいいのです。それが「社会」です。自分で起こした事業で得られた利潤は、自分で好きなように活用出来ます。拡大のために人を雇うであるとか、安定性を望むために「守り」に入るようなこともできます。舵をとるということは「自由」であるということです。ただ、組織が大きくなればなるほど、その人が持つ「責任」は重大なものになります。その事業で複数の人が生活をするということになれば、さまざまな人の人生を左右する決断をし続けるということになるからです。

リーダーと呼ばれる人々は、特権階級ではあるものの、その決断のプレッシャーとの戦いです。それは理屈ではなく、人として問われる責任であり、さまざまな人の暮らしを左右するという恐ろしいものなのです。その対価として、もっとも利潤を得ているということになります。

「仕事」には「役割」や「立場」というものがあります。それを少しずつ「上」に上げていくことが「出世する」ということでもあります。出世するということは責任を負う対価として「収入」が増えるということです。そのような意味ではビジネス上では弱肉強食といってもいいでしょう。誰もが満足できるだけの収入を得られるようなシステムではないのです。そのようなシステムは、資本主義の中では実は「あり得ない」ものであるのです。

↑ PAGE TOP