資本主義とは何か

私たち人間は「文化」と「社会」を持つ生き物です。私たちの本質は「考えること」と「コミュニケーション」にあります。そして「器用な手先」と相まって、自然界に存在するあらゆるものを利用して生きてくることができたのです。

私たちは古くからさまざまなものを作ってきました。住居はただ洞窟や木の上だけではありませんでした。私たちは自然界のさまざまなものを応用して自分たちが暮らしやすいような住居を「作る」ことが出来たのです。最初は小さな群れ、それも家族のような単位で暮らしていたのかもしれません。だから住居を構えることも、食事をすることも、すべて自分たちで賄っていたのかもしれません。オスが狩りをし、メスが子育てをする、動物に限りなく近い役割分担で生きていたのかもしれません。

やがてその小さな群れが大きな群れになり、人と人とのコミュニケーションが発達し、私たちの知恵も発達すると、それぞれが個々に狩りをするのではなく、狩りが得意な人は狩りを、作物を育てるのが得意な人は作物を、そして他の集団から身を守るための自衛を編み出したのです。「仲間意識」がそのまま「社会」を形成し、大小さまざまな「国」が起こります。

国になれば人はそれぞれの役割を果たす「社会」が形成されていることと同じです。古代では人が平等ではなかったかもしれません、奴隷として無償で働かされた人もいたのかもしれません。整った現代のような社会ではなかったかもしれません。ですが、その時点で人は「自分の役割」というものを考えることができていたのです。

そのように人がそれぞれ役割を持って、組織、あるいは社会のために力を尽くすということは、昔から自然なこととして私たちは受け入れてきたのです。自分の「役割」はやがて「職」というものになり、社会が「人権」というものに目を向け始めると、私たちはみんなが平等になりました。役割としての「指揮者」はいるのかもしれませんが、本質でいけば私たちはみんな平等であるのです。

だから「無償で働く」ということはナンセンスなものになったのです。恐怖による服従などという前時代的なものがなくなった現在では、私たちには「働く理由」が必要なのです。

そのための「共通価値」としての「お金」があるのです。お金は世の中に限りあるものです。無尽蔵に世の中にお金があれば、それは「価値」を失うからです。限られた「お金」を実質的には競うようにしながら、私たちは生きているのです。それが資本主義です。社会というシステムを維持するためには、私たちはどうしても働く必要があるのですが、そのためには「動機」が必要であり、「豊かな暮らし」を実現するために人がそれぞれの役割を果たすためにも、共通価値が必要だったのです。

そのようなシステムの中で、私たちは日々より良い暮らしを追い求めているということになるのです。私たちが生きていく上で、「お金」はどうしても必要であることも、そのような社会に生きているからなのです。例えば山の中に暮らし、すべて自給自足で事足りるということであれば、このシステムからは開放されます。その代わりに、文化的な生活までも手放すことになるのです。

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